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名古屋地方裁判所 昭和49年(行ウ)11号 判決

原告

太田直己

右訴訟代理人

伊神喜弘

ほか二名

被告

名古屋拘置所長

樽清

右指定代理人

服部勝彦

ほか五名

主文

本件訴を却下する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一、当事者の求めた裁判

(原告)

「一、被告が昭和四九年五月二一日付で原告に対してなした四五日間の軽屏禁および同期間の文書図画閲読禁止ならびに自弁にかかる衣類臥具着用の一五日間停止の各懲罰処分を取消す。二、訴訟費用は被告の負担とする。」との判決。

(被告)

主文同旨の判決および本案につき「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決。

第二、当事者の主張

(請求の原因)

一、原告は、現在、現住建造物放火、同未遂等被告事件により名古屋拘置所に勾留中の刑事被告人であり、被告は右拘置所長として監獄法五九条の懲罰権者である。

二、被告は、昭和四九年五月二一日原告に対し、職員の指示に反し食事を受け取らないこと、房の中に不正な貼紙を掲示し、職員の指示に反してこれを取り外さなかつたこと、職員に対し暴行したことおよび食事一二食分につき拒食したことを理由として、同日から四五日間の軽屏禁および同期間の文書図画閲読禁止ならびに自弁にかかる衣類臥具着用の一五日間停止の各懲罰処分(以下、本件懲罰処分という)を言渡した。

三、しかし、右各事由のうち職員に対する暴行の事実はないし、右暴行の事実を除くその余の事由が仮りにあるとしても、本件のごとき軽屏禁等の懲罰処分自体社会通念上著しく重い処分として違法であるので、右各懲罰処分の取消を求める。

(本案前の抗弁に対する反論)

被告の主張するとおり、本件懲罰処分について、三日間の免罰がなされ、昭和四九年七月五日の経過を以てその執行がすべて完了したことは認める。しかし、原告は本件懲罰処分執行終了後においても、その取消を求めるにつきなお法律上の利益を有するものである。すなわち、本件懲罰処分が取消されることによつて、被告の公権力行使が違法であつたことが明らかになり、しかも公的に確認されることになる。また取消判決の結果被告は、原告の身分帳から本件懲罰処分を受けた旨の記載を抹消する義務を負担するとともに、原告が精神的肉体的に被つた損害につき陳謝または損害賠償をなす義務を負担することになる。被告は、原状回復は別訴による金銭賠償で必要かつ十分と主張するが、名誉毀損という損害に限つてみても、金銭賠償による原状回復は、本件懲罰処分の取消を公的に確認することにはるかに及ばない。

しかも、今後における拘禁中の処遇につき、本件懲罰処分が取消されるか否かにより重大な差異を生ずるのであつて、以上の事由はいずれも法律上の利益というべく、被告の主張は失当である。

(被告の本案前の抗弁)

原告に対する本件懲罰処分は、三日間の免罰により昭和四九年七月五日をもつてその執行がすべて完了したので、その取消を求める訴の利益は消滅した。行政事件訴訟法九条によれば、係争処分の執行後においても該処分の取消を求めなければ回復できない法律上の利益がある限り訴の利益は失われないのであるが、監獄法五九条の懲罰処分についてはかかる法律上の利益はない。すなわち、例えば受刑中の収容者であれば、懲罰の執行後であつても、懲罰を受けた事実は行刑累進処遇令に基づく進級の審査につき参考とされることもあるが、これとて必ず参酌しなければならない性質のものではなく、自由裁量の範囲でその判断の一資料となるに過ぎない。ところが、原告は現在勾留中の者であつて受刑中の者ではないから、右行刑累進処遇令の適用による進級の審査が行なわれることはありえないので、本件懲罰を受けた事実が今後の所内生活に不利益を及ぼす余地はない。

次に、原告に対する刑事被告事件の刑が確定し刑務所に収容された場合、未決勾留中に受けた本件懲罰処分が受刑中の処遇にいかなる影響を及ぼすかは、そもそも原告が自由刑執行のために刑務所に収容されるか否か将来の発生にかかる不確定な事柄であるし、また仮りに収容されるとしても、刑務所における処遇方針の決定に未決勾留中の懲罰処分を考慮するという明文の規定はなく、自由裁量行為である処遇の方針決定に関する綜合判断の際の一資料になることがありうるに過ぎない。

更に、本件懲罰処分を受けた事実は単に非公開の原告の身分帳に記載されるにとどまり、原告の携帯する証明書など原告が他人に提示する文書に記録されることはない。

なお、原告において、本件懲罰処分による名誉毀損等の損害があつて、これにつき救済を求めようとするならば、別訴により損害賠償請求訴訟をなすのが紛争の根本的解決であつて、これら損害の回復のために本件懲罰処分の取消を求める訴の利益は否定されるべきである。

かように、本件懲罰処分の執行完了後において、その取消を求める法律上の利益は一切見当らないから、本件訴は不適法として却下されるべきである。

〈以下事実欄省略〉

理由

原告は現住建造物放火、同未遂等被告事件により勾留され、現在名古屋拘置所に拘禁中の刑事被告人であり、被告は同拘置所の所長として監獄法五九条の懲罰権者であること、被告は昭和四九年五月二一日原告に対し、職員の指示に違反し食事を受け取らないこと、職員に対し暴行を加えたこと等を理由として本件懲罰処分をなしたことならびにその執行が既に完了していること、以上の事実は当事者間に争いがない。

してみると、原告に対する本件懲罰処分は執行完了により既にその効果が消滅したのであるから、原告において、本件懲罰処分の取消を求めるにつき格別法律上の利益があるものと考えられないのであるが、原告は、本件懲罰処分の執行完了後においてもなおその取消を求める法律上の利益がある旨主張するので、検討するに、行政事件訴訟法九条にいう処分の取消によつて回復すべき法律上の利益とは、当該処分が違法であつて、これを遡及的に取消す判決の効力が生ずることによつて回復し得る権利ないしは利益の残存することをいうと解するのが相当である。従つて、本件懲罰処分が違法であることのみを公的に確認することや、違法な懲罰処分により侵害されたとする名誉信用等人格的利益を回復することはいずれもここにいう利益に該当せず、また、被告拘置所長の違法な処分を理由としてなす国家賠償の請求は、本件懲罰処分の取消判決を受けたうえでなければ請求できないものではないから、右国家賠償を請求し得る利益はこれに該当しないというべきである。また、原告主張にかかる身分帳の抹消についても、被告が原告の身分帳その他の関係書類に本件懲罰処分に関する事項を記載することは、単に行政上の便宜に資するために過ぎないものであつて、原告の権利義務に対し直接影響を与える性質のものではないと思料されるから、右にいう回復すべき利益に該らないこと明らかである。

更に、原告の将来の処遇に対する影響についてみるに、原告は現在未決勾留中の者であつて受刑中の収容者ではないから、行刑累進処遇令の適用はなく進級の審査がなされることはあり得ないし、原告が今後再び紀律違反を犯した場合また刑の確定により原告が服役した場合等、本件懲罰処分を受けたことを理由として事実上不利益な取扱いを受ける慮れがないとはいえないが、かかる不利益な取扱いは、将来の発生にかかる不確定な事実であるばかりでなく、本件懲罰処分の是非については、将来右不利益な取扱いを争う訴訟において考慮されればたりるのであつて、かかる事由はいずれも本件懲罰処分の取消によつて回復すべき法律上の利益に該るとはいえない。その他、本件懲罰処分の取消を求めるにつき法律上の利益を有すると認めさせるにたりる資料はない。

以上の次第であるから、本件懲罰処分の取消を求める本件訴は法律上の利益を欠くので不適法として却下することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して主文のとおり判決する。

(山田義光 鈴木重明 樋口直)

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